暗黒の歴史!?精神病院入院時代を振り返る

というわけで、今回より人生の振り返りも行っていこうと思っております。まずは暗黒の歴史とも言える精神病院入院編です。今から思えばこの暗黒の時期があったからこそ、いまだに精神障害者手帳を所持しており、大阪市内の地下鉄バス乗り放題なのですよね。それが結構最近までポイント活動をする上で礎となっていた事実もあります。なので、この時期は自分の人生を語る上で意外と侮れないです。

まず、最初に何故入院する事になったかというと、高校時代に手ひどいいじめに遭い、高校を登校拒否状態になってしまったんですよね。そして、精神的にも人生で最悪の状態になっており、じゃあ入院だねって感じで入院が決まった感じです。

自分が入院した病院はそこまでひどい所ではなかった気がします。少なくともチャージマン研に出てくるようなこんなところではなかったと思います。ただ、一回だけ怖かったのはいわゆる色系の精神を病んでる女性からキスをされた事はありました。何気にファーストキスは恐怖!精神病院だったりします。

ちなみに病室は個室でした。そこには持ち込んだテレビに最新ゲーム機を揃えた状態でした。スーパーファミコンにメガドライブにPCエンジンを揃えておりました。当時はまだPSとかサターンの時代ではなかったですね。なので消灯時間ギリギリまでゲーム三昧の日々でした。当時は時間余りまくりだったので、桃鉄を2人モードで自作自演でやってて一人は勝ち組社長で一人は貧乏神担当社長みたいな感じで延々と金稼ぎとかやってましたね。今から思えば何も楽しくない時間だったような気がします。当時はクロノトリガーとかロマサガとかFFとかをやってましたかね。消灯後もクロノトリガーのラストバトルの音楽とかをイヤホンで聴いてたりしました。当時はサウンドテストモードみたいなのがついてるゲームもあったので、その辺は捗りましたね。

あと、割りかし外出自由な雰囲気でもありました。病院の近くは堺東という大阪南部の比較的都会な街があり、今から思えばそこで初めて松屋と出会ったりもしました。当時って牛丼屋はまだ吉野家一択な時代だったんですよね。あとはゲーセンもあったりとかで当時は斬新だったバーチャファイターをやったりもしてました。あとは堺東という事は南海に乗れば難波にも行けたりもしました。流石にそこまでの遠出はほとんどしませんでしたが。堺東でできるアミューズメントって感じでボウリングとかカラオケなんかも行きましたかね。

なので、一見すると入院生活というより、ただ堺東で一人暮らしをしているだけって感じもあったりしました。そんな様子を主治医も見ており、それならマンションでも借りて住んでみるか?って感じでトントン拍子で退院が決まりました。入院期間はあんまり覚えてないけど大体3年くらいだったようです。そもそも入院費よりマンションで一人暮らしをする方が圧倒的にコスパは高いって結論になったようです。その当時の入院にかかった費用とかは怖くていまだに親には聞けてません。

次回は一人暮らし編とかもやりましょうかね。その編はいまだに継続してたりもしますが。あとは社会人活動遍歴なんかも面白そうですね。