社会人活動遍歴を振り返る

というわけで、前回に続き人生の振り返りです。今回は仕事の面をフォーカスした感じでやってみようと思います。まず最初に言っておきますが多分長くなります。時間のある時とかに読む事をおすすめします。

まず、一番最初に働いたのは読売新聞の新聞配達ですかね。これは前回の入院生活から復帰直後だった気がします。ここでは夕刊のみを配達していました。口の悪い配達員からはスイカ頭とか言われてた記憶がありますが、高校時代のいじめからすれば屁みたいなものでした。ここでは数ヶ月働いて辞めましたね。辞めた理由は正直覚えていません。なんとなくです。

その後はクロネコヤマトの荷物の仕分けをやっていました。これもフル勤務ではなく荷物が届く夕方から3時間くらいの勤務だった記憶があります。これはシンプルにお歳暮だかお中元の時期だけの短期のバイトだったためフルにやり切りました。

その後はパソコンが趣味だったため、パソコンショップで働きたいなと思い、今は無き日本橋の某ショップの面接に行ったところ、パソコンオタクは接客業にはいらないとはっきり言い切られてショックを受けた記憶があります。そんな流れで接客は無理かもと思い、ソフマップの中古買取したパソコンとかの整備のバイトに申し込んだところ、パソコン関連ではないが中古ゲームの整備はあるよと言われ、それもありかもとソフマップのお世話になる事になりました。

ただ、そのソフマップの仕事が想像以上にキツかったです。中古ゲームとだけ聞いていたんですが、大半は18禁のアダルトゲームの検品とかだったんですよね。正直そのジャンルは全く詳しくなく、仕事としては箱の大きさとかで仕分けるんですが、それは違うサイズだろ、君には同じに見えるんだろうけどと、明らかオタクの先輩に煽られて2日で辞めてしまいました。マジで地獄の仕事でしたね。

その後に就いたのは原点回帰となる朝日新聞の配達のバイトでした。新聞配達はかなり慣れており即戦力として通用していたんじゃないかなと思います。そんな働きっぷりと履歴書の趣味欄にパソコンと書いていたのもあって、本部でパソコン入力の仕事があるからやらないかと店長に声をかけられる事になりました。これが初の正社員としての就職になります。新聞配達員から本部の正社員ってかなりの出世なんじゃないかなとは思いますね。

そして、朝日新聞でのパソコン作業の日々となりました。ただ、そもそも現状障害者手帳は持ってないだけの精神障害者ではあったので、社員同士のコミュニケーションなどに不全が見られるようになり、段々と職場に居づらくなっていき、3年目にして退社となってしまいました。ここで通っていた心療内科の勧めもあり精神障害者手帳の取得に動く事になりました。

その後はハローワークの障害者雇用の枠での応募が始まりましたが、そこでも意外とうまくは行かなかったですね。いくつか応募はしたが受からない日々を過ごしておりました。そんな中、ハローワークの人から職業訓練を受けてはどうかと提案があり、職業リハビリテーションセンターの門をくぐる事になりました。ここでは最初はパソコンの基礎の基礎みたいなコースに入りましたが、ぶっちゃけ覚える事はほぼなかったです。そのコースの修了後にあなたに必要なのはコミュニケーションスキルだったり社会人としての姿勢だったりするのでは?と言われ、そこに特化したコースに転入する事になりました。

そこで3年間くらい地道に訓練を続け、最終的には今働いている会社に入社しました。そして今年の4月に入社14年目になります。どうにかこうにか落ち着いて働ける環境を手に入れた感じではありますね。正直収入的にはそこまで高い仕事ではありませんが、一人で自立して生活は余裕でできる環境にはなったので、おそらくここで定年までは働く事になると思います。定年後も多分65歳とかまでは働くのかなとは思っています。

以上です。想像以上に長文になったな。しかし、これでもキングコング西野が毎日書いてる2000文字には届いていないのが、なんと判断すればいいのか。次回のネタは今は思いつきません。多分ゆるいネタになるとは思います。重いのを二連続はやりすぎた感がありますね。