というわけで、半生を振り返る!の第二弾です。これはわりかし最近のBLOGでも書いたので覚えている人もいそうな高校時代からの暗黒時代編です。リマスターは当然する予定なので、以前のを読んだ人でもそれなりに楽しめる内容にはなっているかと思います。
高校は地元の進学校に通う事になりました。私学の男子校ですね。偏差値で言うと60台後半くらいです。岩尾とも同じ高校なので、調べて貰えばすぐわかるかと思いますが。しかし、自分は岩尾よりは一個クラスの上のコースでしたと、今更負け惜しみとも言えるマウントを取ってみたりもします。結果論的には完全に負けてるのにね。
男子校って事は当然男子しかいないわけです。当時は親とかからは女子いなくても平気やろって思われてましたが、中学時代編を見て貰えればわかるとおり、女子には結構依存してました。まあ、本質の問題はそんな低レベルの物ではありませんでしたが。いわゆるエリート校ならではの陰湿ないじめで満ちあふれた学校でしたね。ちょっと自閉症気味の男子にはクラス全員総出でいじめまくり、言うのも憚られますが天皇ってあだ名で呼ばれてました…。あとは奈良から来てた人には奈良県太ってあだ名をつけたりとか。何て言うか、中学時代とは明らかに空気感が違ってました。こんなはずではなかったのに。不良がいなくなれば平和になるはずだったのに。
そんな空気感なのもありますが、進学校って事は周りもみんな全員が偏差値60台後半くらいの集団なわけで、テストとかをやってもそんなに上位に入れない感じでした。そんな中徐々に精神が参ってきて、不眠症にもなり学校も休みがちになりました。そして、高校二年の頃に出席日数の影響でとうとう留年となり、そこで精神面ではマックスなくらい悪くなり、通っていた心療内科の勧めもあり入院する事になりました。当然のように高校も中退となりました。
入院生活は二回ありました。一回目は軽い精神病棟に入院って感じでした。そこは二ヶ月くらいの入院でしたかね。本当に軽く病んだ人ばかりだったので、コミュニケーションも問題なく取れる方々ばかりでした。そして、二回目の入院はマジで重度な人しか行かないような、まさにチャージマン研!で言うところのこんなところでした。病院全体が微妙に臭い感じでしたね。食事も絶妙にアレで食えなくはないってレベルでした。
そこで飲まされた薬も究極レベルに強いものなのか、男性的なアレな感覚が完全に消失しました。当時は言うても高校生なので、そっち方面はめちゃ強のはずだったんですが、入院中は全く一人行為もなかったと記憶しています。
そんな病院生活は暗く厳しいものだったのか?と、問われると、決してそんな事はなく、持ち込んだテレビでゲームを一日中やっている感じでした。当時はクロノトリガーだったりファイナルファンタジー5とか6とかが全盛期の時代でしたね。なので、決して苦しい入院生活ではなかったですね。外出もほぼ自由なので堺東の町中を自由に闊歩していた感じでした。ご飯も事前に言っておけばキャンセルも可能なので、極力外食をしていた感じでした。当時は松屋を堺東で初めて食べたのを覚えています。吉野家一強時代の終わりの始まりって感じでしたね。
そんな入院生活も当然月の入院費とかも馬鹿にならんわけで、なおかつ特に治療らしい治療もしていない事もあり、院長からそれなら退院する?って聞かれて二つ返事で退院が決まりました。退院後はマンションを借りて一人暮らしをする事になりました。この頃から今現在に至るまで一人暮らしは継続中です。まず、最初に住む事になったのは針中野にあるめちゃ狭のワンルームマンションでした。家賃は2万円台とかそんなんでした。当時はスマホどころか携帯電話もなかったので、マンションの近くの公衆電話で連絡を取ってました。そして、部屋自体も実に住みづらく、上の階に明らかに反社会的勢力の人が住んでてエレベーターも常に小便くさいという悲惨な状態でした。そこには1年も住んでなかったと記憶しています。そして、山坂というエリアに引っ越す事になりました。ここまでが人生の暗黒時代になります。なかなかにダークネスノヴァって感じですね。
次回は人生好転編?です。まだこの頃には真の好転はしていない事に後に気づく事になるとは…。次回の更新は明日の深夜に行う予定です。なので、数時間後とかに更新ですかね。