半生を振り返る!第一章 幼少期編

というわけで、今回から数回に分けて壮大な展開である半生を振り返る!ってのをやっていこうと思います。今ならリアルに半生くらいですよね。半生を振り返るでいうと過去に書籍化されてたり講演会でも語ったエピソードなんかもありましたが、今回はそういう場の空気感を読むとか放送コード的なしがらみは一切ない、まさにネイキッドなむき出しのエピソードになるんじゃないかなとは思います。今回は今のところ幼少期から長くても中学時代くらいまでで考えています。今のところ完全にノープランです。

まず、西暦1976年1月5日に大阪市内にあるバルナバ病院という所で生を受けます。このバルナバ病院にはかなり先のエピソードで再訪する事になるんですが、それはその時にでも。そして、大阪南部の和泉府中駅の近くの家で幼少期を過ごします。そこはニュータウン的な住宅街で、隣には教育ママ的な母親と自分より1歳くらい年上の男の子がいました。多分旦那もいたんだろうけど接点はなかったです。最初の頃は隣の教育ママも自分を可愛がってくれたそうですが、自分が言葉を話すようになってからは、息子の教育に悪いと判断されて途端に疎遠になったと母親に聞かされました。ようは言葉を発すると、いきなりクレイジーボーイと判断されたって話ですね。

そんなニュータウンの暮らしも母親が弟を妊娠した時に、出産のために母親の実家に移住した辺りで終了となりました。そして、ニュータウンの一戸建てを売り払って母親の実家の近くの一戸建てに住み替えとなりました。これが今の実家になります。そして、そこの地元の小学校に入学しました。これがフットボール岩尾と同じ桑津小学校になります。何気にフットボールの岩尾とは高校まで同じ学校を進む事になります。

小学時代は特に思い出らしい思い出もありませんね。特に低学年の頃は周りも子供だったので、特に自分が悪目立ちする事もありませんでした。ただ、そんな状況も小四くらいからは周りとの成長速度に差が生まれるようになってきて、自分だけ子供のまま取り残された感じになっていきました。当時ファミコンを買って貰った事もあり、学校から帰宅したら即ファミコン!寝るまでファミコン三昧で朝起きても通学時間までファミコンって感じでした。なので、当時の男友達からは野球とか一緒にしなくなったとか言われるようになりました。

そして、結構印象に残ってるのは学校では昼休みとかにドッチボールとかするわけですが、まあ弱いわけですぐ負けるんですよね。そんな負けっぱなしのドッチボールだったんですが、負けず嫌いなのかなんなのかは忘れましたが、自分の都合の良いようにルールを変える所があったようなんですよね。それが回りから疎まれる原因になり、小学生末期の頃は結構いじめられていた感じでした。性格も子供のままでしたしね。

そして、中学時代となるわけですが、ここからは別の小学校からも入学してくる人もいました。なので、心機一転って感じで中学生活を進めていく事になりました。ぶっちゃけ、中学時代が一番好きな時代かもしれません。それは、なんか知らんけどモテたんですよね。人生のモテ期が全部まとめて来たと言っても良いくらい。まず、中一の頃はイニシャルでTさんって女子からかなり好かれてました。学校の廊下で遠くから自分を見つけると走って寄ってくるみたいな。完全にフラグ立ちまくりですよね。そして、休み時間はずっと話してるみたいな。しかし、この関係は中一で何故か完全終了しました。今から思えば大して好きでもなかったし別に良いかなって感じはしますが、この関係をうまく構築していれば48歳になっても未だにDTって未来はなかったのかもしれません。

中二中三の頃はイニシャルでSさんって人が自分を好きだと噂で聞いて、実際そうなんだろうなって感じで接してました。通っていた塾が同じだったんですが、放課後にわざわざ自分を探してきて、今日の塾の宿題これやったやんな?みたいに聞いてくる事が日課みたいな感じでした。そして、自分が使っていた分度器と同じ物を使っていたりとか。今から思えばこの関係を構築させていれば48歳になっても未だに…以下略って感じでした。

ただ、自分が本当に好きだったのはイニシャルでMさんって人でした。ぶっちゃけ、今でも好きなまである人です。当然今は結婚してますし、ていうより20代くらいの時に実家で連絡先とかを探してたら母親からもう結婚してるでって言われて初めて知りましたが。そんなMさんとも結構仲は良くて、塾も同じだったためSさんとMさんの3人で話をしている事も多かったです。というより、マジで中学時代は男性の友達が思い出せないくらい女性の友達が多かった気がします。

そんな中、Mさんに言われた事で未だに忘れられない言葉があります。当時わっきんと呼ばれていたんですが、わっきんが女の子だったらもっと仲良くなれたんだけどなって言葉です。これは未だに覚えています。そんな言葉にSさんもMさんになんで?って聞いていたのを鮮明に覚えています。ようは異性としては付き合えないって解釈で合ってますよね?そんな感じで中学時代は幕を下ろしました。今から思えばSさんとは普通に付き合うチャンスもあったし、色々詰めの甘い中学時代だったなって思います。だから48歳にもなって未だにDTなんだよ。

というわけで、次回は高校時代編です。